七日を過ぎて、正月も終わりました。今年もだらだらと書いていきます。
でも、ごめんなさい。もう少しまじめにやりますね。
さて、今日は1月7日。
本来、七草粥は、中国の五節句のひとつ「人日(じんじつ」から来ているようで、この日は人を殺さず、ということで処刑もされなかったらしい。
ちなみに5日に友人が来て牛・豚・羊のしゃぶしゃぶをしてしまったから、「牛の日」である5日にそんなことをしてしまった俺は大罪人である。
七日には、本来「羮(あつもの)」を喰ったそうで、白菜が入ったしゃぶしゃぶの残りのスープに春雨を入れて食べるのはあながち間違いではなかったらしいのだが、同居人はどうもそれにあたったらしく、調子が悪い。
ま、それはそれとして、さっき近所の生協で七草セットが激安だったので買ってきて、今、七草粥を炊いている。野田琺瑯製のKAMADOという鍋は
なかなか優れもので、粥も旨く炊けるが、最初に蓋をしないで炊くという点が面白い。これは普通のご飯もそうで、「湯炊き」ともまた違う方法だ。沸騰させ、
米の対流をさせつつ水分を飛ばし、重い蓋をして最後に炊きあげる。

そんなことを、七笑をちびちびやりつつ楽しんでいるので、とうぜん体に良いわけもなく。同居人も食べられるかどうか。
俺は母親の料理の記憶はあり、好きな料理、懐かしい料理もたくさんあるのだが、いまさらに考えてみても、つくづく裕福ではなかったのだなあと思う。
生まれた「時代」が違うのだから、同居人と食べたものが違うのは分かるが、手作りのケーキも、自家製のスープも食べていない。塩鮭は十条の乾物屋で買っていたのだが、いつも「しっぽを買ってこい」と言われた。
その方が旨い、というのもあるだろうが、主に「身が多く、経済的である」というのが理由だろう。
里芋の煮っ転がしも、鼈甲煮のような、とろんとあまいタレのように煮たものだし、ジャガイモもやはり醤油と砂糖で煮てあって、にんじんやましてや絹さやなど入ってはいなかった。
日曜日の朝食の定番は、素焼き蕎麦か魚肉ソーセージ入りの焼きそばで、野菜は入っていない。しかも、酢をかけて食べた。あるいはトーストで、バターは塗るが、なぜか卵は醤油入りの炒り卵だ。
今でも大好きだけれどね。でも、やはり貧しい。
けれど、父親が晩酌を欠かさなかったおかげで、おこ
ぼれには与っている。
清酒は白雪と決まっていて、だいたいはマグロの刺身、と言っても切り落としのようなものだった。ビールはキリンだった。ウィスキーはどこかでも
らってきたダルマことオールドで、自分で買うときは角かなんかじゃなかったか。洋風のつまみは、たいていは乾きものと、サラミ。あの、堅い方のヤツだ。今
でもサラミは堅くないと許せない。
一番のごちそうは、プロセスチーズとロースハムだ。ロースハムの、あの白い脂身の巧さといったら。
ウィスキーの時は、父親はコークハイと呼んでいたが、ウィスキー&コークだったので、500mlのちょっと大きいボトルで2杯呑むと、少しだけ余
る。それを、姉と分け合って飲みながら、ロースハムを1枚か2枚だけ分けてもらう。父親は運転手だったから、日曜日には必ずガソリンスタンドでの洗車につ
きあって、そのときには180mlの、ウェストがくびれたコーラの瓶を独り占めできたのは姉には内緒だ。当時のスタンドには、必ず縦にガラス窓が開いてい
る冷蔵機が置いてあった。たぶん自動販売機ではなく、スタンドの兄ちゃんに金を払ったのではなかったか。王冠は、その冷蔵機に備え付けの栓抜きで抜いたけ
れど、赤くペンキで塗られた鉄製の作業台の端でスタンドの兄ちゃんが器用に抜いているのを見て、格好良いなあと思ったのを覚えている。
そんな貧乏な家だったが、たまには天の恵みがやってくる。
父親が働いていたのは、日産系の商社らしく、台湾からパイナップルやバナナ、肉でんぶなどがやってきたことがあるし、お歳暮には毎年必ず「ハムの人」がやってきた。
かたまりのハムである。
巨大なマンガ肉である。
ギャートルズでもこうはいくまい、子供心に胸躍った、かたまりの肉である。
それを分厚くスライスして、ステーキにする。
ソースは、もちろんケチャップとウスターソースを混ぜたもので、ガルニもたぶん茹でただけのニンジンとかそんなものだったと思う。
胸を張って「大物」と言えたハムは、4人家族の為に切ると意外に薄く、おそらく1センチくらいじゃないか、せいぜい1.5センチだ。
それでも、年に1度か2度のハムステーキは、それはそれはごちそうだった。
そのハムステーキを、同居人が食べたことがないというので、年末に買い物に行ったときに、固まりのハムを買ってきた。上等の牛肉に比べれば安い。黒豚と同じか、少し安いくらいの値段である。
それを半分に切り、厚さはおよそ2.5センチ、いや3センチくらいかな。
もう大人なので、茹でたキタアカリを半分に切り、その切り口を油に付けるように、オリーブオイルで焼き目を付ける。一緒にプチトマトも焼く。蓋をしているから、焼くと言うよりブレゼみたいになる。
きちんと「ニッポンの洋食」、というならばにんじんを俵に切って、白ワインと少しの砂糖、ローリエと塩、白胡椒でグラッセしたり、ポテトは二度揚げにしたりするが、そこは家庭の洋食と言うことで。
ソースは、酒ごはん研究所らしく、フランベしたブランディだ。バターは使わず、オリーブオイルでじっくり焼いたフライパンでのフランベ。換気扇まで炎があがるから、火災報知器があるところでやってはいけない。
一緒に、サラダ。これは、もうマカロニサラダしかない。茹でたニンジンの銀杏切りとキュウリのスライスを入れ、松田のマヨネーズと塩胡椒、ヴィネガーを少し加えて、隠し味は蜂蜜である。
本当は、ポタージュがあると良かった。インスタントしかないのでパス。
で、バゲットもあったが、それは避けて、白飯。ナイフでフォークの背にのせて食べるのだよ。しかも、食べる前に塩を振るのだよ。ふふふ。
ちょっと分厚すぎて堅かったけれど、これはこれでアリだなあ。
雑誌で、ニッポンの洋食の特集をすると売れる。
これは、団塊の世代から、30代半ばまでの日本人が「初めて知った西洋の味」はたいていが「ニッポンの洋食」だからである。
俺は、ハンバーグもロールキャベツも得意だ。ハンバーグは、醤油とにんにくと粉チーズがきいたソースで、和風だが独特である。最後に赤ワインでフランベして、生クリームで仕上げる。ロールキャベツはトマトソースで煮込む。どちらも日本人好みだが、それはそれで面白い。
デミグラスソースなんて、洋食の「命」ではない。鰻だって、焼き鶏だって、代々続いたタレも旨いけれど、そうじゃないタレだって旨い店はある。
でも、なんだか作っていて、しみじみと切なくなってきたよ。
ああ、これは俺のルーツの味だなあ。
母親は、まだ生きているが、本当に料理がへただったなあ。
そして、俺の家は、貧乏だったなあ。
小学6年生。栃木で、両親が離婚して、母親の実家に行ったときに、転校先の小学校で「離婚したくせに」とからかわれた同級生を、学校中、1時間、モップを持って追いかけ回したことまで思い出しちまったよ。
俺は、ケンカは嫌いだ。泣き虫だし。そのときも泣いていたし。
でもあのときからだ。
おれはケンカをしたら、誰にでも勝てる、と思った。
手段さえ選ばなければ。
でも、手段を選んだから生きているんだろうな。こんなろくでなしでも。
さあ、粥が炊きあがった。
塩を加えず、大根と蕪は食感を残して。
青菜立ちは刻んでいると良い匂いだ。それを殺さぬようにざっくりと刻み、最後の蒸らしで、今、加えたところだ。
命の匂いがする。
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